伊勢神宮 御垣内参拝 御神楽とともに
伊勢神宮の御神楽と御垣内参拝の機会を得たので2月末、内宮の玉砂利を踏んだ。
伊勢神宮は通常外宮から参拝し内宮に向かうが、時間の都合つかず外宮からの参拝となった。何度か参拝しているが今日は御神楽と御垣内参拝ということで、いつもより心が深々となる。
伊勢神宮と言えば赤福餅のお店が橋の詰にあり、多くの人でにぎわう。しかしながら本日は早朝ゆえ、人は殆どおらず、朝のできたて赤福餅を頂けた。明日、月初めの一番餅を買うために既に橋の上に多くの椅子で待つ方々がおられる。それほどの御利益?があるのだろう・・・。
伊勢神宮に向かう道は人も殆どいない。
早朝の伊勢神宮への道は既に何とも言えない空気が流れており非日常の場所でなくなる気配がする。
外宮の場合は火除橋、内宮の場合は宇治橋を渡って、神域に入っていくのだが、この橋は新しくなったばかりで美しい。
外宮と内宮、参拝方法は基本的に同じだが、少し異なるのが、外宮の参道は左側通行、内宮の参道は右側通行であること。橋の上を歩くときも右を歩く。
これは、橋を渡った先の手水舎の位置に合わせて決められているとのこと。
従って、参道では、基本的に中央を歩くのはタブー。
どこの神社でもおなじですが、中央は神様の通る道とされている。
鳥居をひとつ越えるごとに、神様の領域に近づき心が透明になるように感じる。この心境の変化は日常では味わえないもの。鳥居の前では立ち止まり、軽く一礼してから進む。
手水舎で手と口を清めるのですが、京都で育った私は何度か作法を教わったので、忠実にそれに従う。
・右手でひしゃくを持って水をすくう
・左手を清める
・左手にひしゃくを持ちかえ、右手を清める
・右手にひしゃくを持ちかえ、左手に水をすくって口をすすぐ
・左手を清める
・ひしゃくを垂直に持ち、余った水をひしゃくの柄に伝わせ、清める
水は最初に一度すくうのみで、その水を少しずつ使うことが重要となる。
あと、内宮では、手水舎の先に「五十鈴川」があり、川のそばまで降りられるようになっている。小学校の修学旅行でもこの河原に立った覚えが鮮明にある。五十鈴川の流れに手をひたし、清らかな気持ちで参拝へ向かう。
さて、奥まで歩くと内宮の正宮前の階段となる。ここを上がったところにご正宮があります。階段は長く上部に達することができる。
ご正宮に祀られているのは、内宮のご祭神である天照大御神の和魂(にぎみたま)、神様の穏やかな面の魂になる。
伊勢神宮が他の神社と大きく違うところは、賽銭箱がない。そして、おみくじもない。
伊勢神宮では、「私幣禁断」といって、長らく天皇陛下以外のお供えは許されていない。
つまり私的なことを御願いする場ではなく、神に感謝するところとなる。
神のご加護に対する感謝を神様に伝えるだけの場所なのだ。
拝礼は、「二拝二拍手一拝」だが、最後に手を合わせて神様にお願い事をしてはいけない。初もうでなどでは最後に長く神様に手を合わせるが、伊勢神宮ではしてはならない。
今回の目玉は、この参拝。一般の方々が参拝されるところの左に御垣内参拝の入り口がある。そこにいらっしゃる御正宮の脇にいらっしゃる神職の方に札を見せ中に通して頂く。
参列者の服装などを簡単に見られ、荷物をすべて置き、更に中に進む。そして御垣内に導かれる。たった1歩というのにその聖域の空気感は言葉では言い表せない。心が浄化され透明になるとでも言うのだろうか。そこに神がいるのだろうが、その包まれ方に体を委ねてしまう。感動の中、神楽殿に向かい、御神楽を見る。内宮は「御饌」。
さすがというべきもので、椅子でない場に座っているのだが、時間を忘れて見入り、聞き入ってしまった。伊勢神宮としての「御饌」は一見のものである。
さて、参拝も終わり、最後の鳥居をくぐり振り返り礼をする。早朝の静かな参道は既になく多くの人でにぎわっている。人ごみに紛れる自分を否定しつつ、やはり人ごみに紛れる自分を確認し日常に戻っていく。
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