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2014年10月に作成された記事

2014/10/16

「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」  Gandhi

ガンジーの名言である。

「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」
私は現在57歳であるが、何度か死んでもおかしくない経験をしている。
もちろん、現在はロードレーサーで1日180km走り、毎週のようにアルプスを駆け巡っているので健康・体力とも充実している。
されど、さっきまで元気ハツラツだった自分がある瞬間死ぬ直前までに至るのだ。
この経験はガンジーの「明日死ぬと思って生きなさい」がまさしくドンピシャなのだ。
そして、残された「永遠に生きると思って学びなさい」がそれ以上に心に入り込む。
この言葉は義務教育から大学までまったく何も気づくことなく過ごしてきた自分に大きな反省をもたらせた。大学3年までは遊びたい、こんな授業を聴いてどうなると日々思っていたが、大学3年に当時の日本リクルートセンターで働かせていただくようになり、日本の中小企業や上場企業の経営者に触れさせていただいたことで、徐々にその考えは変化していった。昭和を代表する経営者にお会いしても、日々学びの機会とお話しをされる。
私が仕事の成果を出すために頭をフル回転して生み出した解決策の多くは、若輩ながらも自分の生きてきた中での知識と感性的なものがベースとなっており、社会人になってから学んだスキルや知識はその枝葉に相当するような気がする。
「こんな学校の勉強なんて役に立たない!」と子供は口癖のように言うが、それは実は当たりかもしれず、その勉強は自分が先に生きて輝く為の勉強であり、勉強をし、学んでいるその瞬間は大きな疑問をもって当然とも思える。
振り返ると人生後半に学びの成果を感じる機会が増えているのは明らかで、長生きするほどその成果の数も増え自分の言動に少しづつ自信ができたりしている。
長老が物事を多く知るのは、単に高齢であるからでなく、今まで学んだことが自分の人生の中で人より多く成果となり体感できたからではないだろうかとも思うのだ。
長く生きることは、きっと自分の自信や生きざまを創造し、その人の学びがより多くの人々に伝承されるのだと考える。永遠に生き学ぶことは、知らぬ間に多くの人々に何かを伝承することに繋がっているのだとも思う。
最近の長老や親は多くのことを子どもたちに伝承していないと感じる。
もちろん、子供が長老の話を聴くというスタンスを持たなくても安易にネットから多くの知識を得たりできる環境がそうさせているとも言える。企業ではシステムで儲かるビジネスモデルを見せられ、言いたいことが言えなくなるベテラン社員もいる。
しかし、人から人へ伝承する内容や意義はネットでの伝承とは必ず違う温度や感性がある。企業で多くの経験を知るベテラン社員、長く人として生きてきた長老・・・には自分が学んできたことを何らかの形で発することが役割りとも思える。
彼らが情報を発しなくなってしまったことで日本や企業の健康状態が悪化しているのではないかとも感じる。
企業のビジネスはできるだけ人を介さないビジネスモデルが氾濫し、利益重視のあまり
人と人がコミュニケーションしないといけない領域までシステムで解決しようとしている。
その基準が大幅に乱れることで「企業が永遠に生きることを忘れ、学ぶことを忘れる」ことにならないか不安でならない。
企業の組織が弱体した際のソリューションの基本は1対1の「人と人とのコミュニケーション」。最後は人に帰るのだ。
魂で人を動かせる社員が御社に何人いますか?
 

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