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2009年10月に作成された記事

2009/10/22

自分の存在が分る場所

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自分の存在が分る場所。

家、会社、自分の部屋、友人とスポーツをしているとき、公園で本を読んでいるとき・・・果たして貴方の存在を感じるときはいつですか。私が自分の存在を一番感じるのは大自然の中である。大学生の頃、バイクで野営(キャンプではない)ばかりをして日本国内を周った。北海道、信州、京都の北部、中国山地、阿蘇、鹿児島など。多くは周囲5kmから10kmは人がいないのではないかと言う山奥の秘境で何度も野営をした。自然に対して相当に知識と対応力ある自分であったが夜の暗闇に訪れる圧倒的な野生動物の匂い、山と水の匂い、枝の間を抜ける風の音、明らかな獣の足音に自分が押された。日頃何の思いも無く過ごしている周囲の空気なども含めて自分の周りに存在し攻撃をかけてくるかもしれない何かに押された。最初は一睡もできなかった。

この旅で自分が自然の中に存在し、いかに小さな存在かを思い知った。自分が中心ではないことを知った。

社会人になり相変らず自然が好きでキャンプやカヌーで自然と触れることとなったが、究極の自然を周囲に感じることは無かった。カヌーでも人里や道路からまったく遮断された動物達の足跡が残る山中の河原で野営した時には類似したものを感じた。そして、ここ数年はキャンピングカーをツールにして登山や自転車(ロードバイク)をしている。自転車は次回に譲るとして登山について書くことにする。今までと違うところは目的のフィールドに行くまでのツールとしてキャンピングカーやカヌーを使い、真の目的は登山となった点である。登山は自らの足だけで頂点を極めたり自然に身を委ねることができる。そして、登山の魅力は若い頃に体験した自然の中での自分の存在を大いに感じることができることである。また、登山は人生設計や会社経営に似た要素をもつ。手ごわい山やフィールドを相手にするときは十分な下調べが必要となる。アメリカのヨミステからのトレールなどは水、食料、体力、軽量・・・そして熊対策を用意周到にしなければならない。何より地図を読み込むスキルを必要とする。私はこの地図を読むことが好きである。25000分の1を使用することが多いがその地図にはその自然の息遣いが見えてくる。何日ものトレッキングや縦走の場合はその行程のすべてのルートを頭に叩き込むわけだが、先を想定し、先にあるピークの数や谷の数を覚えイメージすることでトラブルも未然に防ぐことができる。まさしく人生や会社運営に似ている。え?会社運営、人生は地図のように固定しておらず変動する?いやいや自然には温度や湿度、天候、怪我など大きな変動要素が待ち受けている。

経営者は孤独と良く言うが、単独行は似ている。先に書いた押し迫るような外的要因に対して自分のもつ最大限の感性でその動きを察知し対応する。事前に予測できるところは最大限に予測しリスクを回避する。そして、不意なアクシデントにも自分の責任でリスクを最小にする。実に単独登山行にプロセスは似ている。

人間としても、会社の経営者としても、社会人としても究極は「個」であることは間違いない。そこで技量が問われるのは本来人間がもっているだろう個の「感性力」が大きいのではないだろうか。どのような手段でも良いのだが、自分の小ささや、自然の圧倒的な力の中で自分が常に存在していることを思い出させてくれる場や機会をもつことが重要だと思う。貴方はそんな場所お持ちですか?

写真は僅か800mほどの岩場の頂。携帯カメラでの撮影。実に気持ちがいいのである。

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2009/10/01

幸せのDNA

あるとき・・・

現在も活躍されている大物男優が車雑誌にて「自分の幸せはこの軽トラックに長靴で八ヶ岳にいるとき」と写真入で紹介されていた。まさにダンディーな大物俳優である。単純な私はすっかりそのときからその男優のファンになった。私と「幸せDNA」が少し一致したからだと思う。それからというもの、「幸せDNA」が同類と感じる著名人が増加しファンはどんどん増えてしまった。実に人間は単純であり、自分の幸せ軸が生きる中心にあるのか自分の幸せDNAに反応する出来事、モノがあると、あらゆるものを押しのけて没頭してしまうのである。

主に大都会にいると「競争風土」「見栄」などで自分の「幸せ規準」がどんどん形を変えていってしまう傾向を感じる。資本主義経済の集団の中で生きる人間の宿命なのだろうか、日常には常に競争風土が蔓延っている。特に大都会で幸せの規準に流されてしまっている人間が多いと感じる。では職を選択するときはどうか。これも都会の競争風土の中で自分の本当の幸せ軸を見失った職選択が多いと思う。自分の今まで築いてきた良質な生活環境を何としてでも維持することが先行し、本来自分が求めている何かを追いかけられなくなっている方も多く見かける。誤解を生じてはいけないので付け加えるが、職選択は憲法で保障された「自由」が基本であることに間違えはない。私が思うのは数千人の転職に関わってきた人間として特に最近「自分らしさ」を大事にすることの重要性を感じることが多くなってきているということ。自分の人生の幸せ規準を見直すことで視野も広まり選択肢も増える。自分の生活圏、人生の組み立ても大きく変えることが可能であると思うのだ。

人間は様々なこと、モノでモチベーションが作用する。いつしか仕事や友人達の言動を感じるだけの狭い生活圏や範囲からの刺激に頼ることとなっている。しかし、本来生まれてから今まで自分をつき動かすモチベーションの根源はなんだったかを究極で考えると、仕事であったり、小さな言動の刺激からではないはずであろうと考える。前回のブログでも書いたが自分の様々な基準を変えることで多くの選択肢が生まれ、ライフデザインの観点でも楽しいデザインが描けてくる。いやらしい話であるが金銭でいうと日本の100万円、1000万円を貯金がこれだけしかないと考えるのか、アフリカや東南アジア圏などの日本円価値が高いところに移住し数倍、数十倍の資産を手にいれるのかもほんの少しの視点を変えることで実現する。そこで人生を送る少しの勇気があるかだけである。そして、金銭に対して緩やかな環境で自分の本当の「幸せDNA」を蘇らせることもできるかもしれない。また、極端な例であるが、アメリカの小説大草原の家のように塾も大學も近隣にはないが自給自足の生活ができる場所に移住し人間同士の競争がないところで、野生動物や自然と競争する道を選択することも可能である。その場所がアラスカ、北海道どこでも良いのである。その人間が「幸せ」であれば。

これらの実現は新たな世界で本気で生きる為の勉強欲と知識、そしていまある現実の少しの部分を捨てれる勇気があるかどうかで決る・・・。私は社会人になった22歳ごろからこの幸せ規準について考えていて、いつしか実現しようと企んでいる。私の場合は大海原を泳ぐクジラの研究、海洋生物学の研究をすべく昴天文台があるハワイ島がさしずめ目的地になるのかもしれない。もちろん、野生派の私は超ローカル生活を好むのである。そして、海洋生物たちには転職もなくヒューマンリソース分野のスキルもまったく役に立たない環境となる。様々な制約が付きまとう環境の中で既に生きている我々には簡単に判断できないことが多く存在していることは激動のマーケットで生きてきた私も重々承知している。しかし、現実逃避ではなく攻めの人生の一貫として少し先の自分を見つめながら一回しかない人生楽しみたいものだと思うのだ。

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