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2006年10月に作成された記事

2006/10/24

技術者専門求人誌「Beruf」ベルーフ

ベトナムに続き、カンボジアについて直ぐに記したいが、昔書こうとして書けていない技術者の求人専門誌「Beruf」ベルーフについて書くことにする。

ベルーフとは「転職」ではなく「天職」という意味をもつ言葉である。私は非常に好意を寄せる言葉であり、この誌名をもつ技術者専門の求人誌創刊に関与したことを今でも誇りに思っている。当時、文系ではあれど技術やメカが大好きな自分のDNAが騒いだことを覚えている。内容は景気の上昇と共に全職種を掲載する週刊就職情報誌の厚さが電話帳のようになり、本屋さんのラックや営業マンのカバンにも入りきらなくなり、最終的には一番読んで欲しい転職思考者(読者)にも本が重すぎて購入を鈍化させるという事態になった。お客様に求人広告掲載料を頂きながら、効果がでないとなれば本を発刊する意味もなくなることから、技術者の求人のみを抜粋し、且つ技術者の方々が読んでも面白い編集記事を掲載する技術者求人専門誌「Beruf」を創刊した。

この本は物づくりの日本を知ることができる素晴らしい本で、求人誌としては勿論、日本のメーカーを中心とする素晴らしい研究開発の裏場面や、技術者に期待する人事部の話、そして圧巻は技術者を採用する為に、国内外の大手企業TOPが求人誌の誌面に登場したことだ。当時はあのビルゲイツも編集記事内で、マイクロソフトの企業理念や、日本で欲しい人物像を熱く語っていたのを覚えているし、取材もシリコンバレーなどにも及んだ。実は、私個人の主な人脈や知識は、この当時に形成されていると言っても過言ではない。私が国内最大の人を扱うリクルート社に入社した一番の理由は「昭和に奮闘して素晴らしい企業を創られた大手企業の創業経営者の方々に御会いすること」であった。素晴らしい経営者ほど「人」の重要性を説く訳で、大手企業の著名で多忙な経営者でも人を採用する為には必ず経営者そのものが登場して話をするに違いないと読んだ訳である。言い方が少々乱暴であることをお許し願い、その実現に利用し、それを実現させてくれたのがBerufであった。

当時はまだ20代から30代であったが、今は無き大手家電メーカー、自動車メーカーのTOPとも御会いすることができた。御会いしたときは事前に読破した本の内容も全て頭の中から空っぽになり、その顔に刻まれたしわ一つも見逃すまいという感じで顔ばかり眺めていたことを記憶する。勿論、その時の取材はライターに任せていたこともあり、会話の内容はほぼ記憶に無い。また、いい意味の誤算として海外から多くの企業が日本に参入し、外資系のTOPの方々とも御会いすることができたことである。そのお陰で国内外企業の価値観の差も学んだ。その意味では「Beruf」が今の自分の仕事をさせてくれていると言っても過言ではないのかもしれない。                     

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2006/10/20

ベトナムのことを書いた次の日に・・・

前回はベトナムの人材流入について書いたが、そのテーマで書いた次の日の新聞にベトナム研修生を含む、外国人研修生の現状が大きく報じられた。バブル時に外国人研修生採用が増加したときにも話題になったが、ベトナムから研修生として日本に入国した人々の多くが姿を消すという話だ。この話を人材ビジネスをしている私は、単なる失踪という現象で終わらすことはできない。海外研修生のこの実態を聞くに、ベトナムを含む海外の研修生として研修勤務する人材の「質」を問いたい。海外に居るときに日本に研修で出国する登録をする訳であるが、海外現地での人材募集の仕方、選択のし方、事前教育のやり方が非常に重要になる。国内の派遣でもそうであるが、最初に会って動機付けをし、その人材の素養を見抜き判断する、コンサルター、コーディネーターの力量が大きく採用の成功を左右する。果たしてベトナムやタイの現地に、この部分の経験豊富で優秀なコンサルター、コーディネーターが存在しているのかを問いたい。多くの人材を日本に送り込むのが目的ではなく、この研修生制度で日本の企業に入って多くの貴重な体験ができ、その経験者が帰国して更に同調する優秀な人材を連れてきてくれるような流れにしたいものだ。この制度、システムは長い目で見た継続あるものにして欲しいと感じる。そうしなければ、この制度を本気で活用し良好なものとしたい方々の思いまで踏みにじることとなるだろう。その為には日本と現地の協力下、面談力あるコンサルター、コーディネーターを育成する何らかのアイディアが必要になるのではないだろうか。

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2006/10/16

ベトナム事情

久し振りの作成となり、誠に申し訳ない。

さて、今回は技術者の求人専門誌のことを書こうと宣言していたが、最近海外出張づいているので、先日大手の面談で立ち寄った、ベトナムについて、少々書こうと思う。日系企業の多くが中国に進出し、低コストの人材力を活かし大幅なコストダウンを成功させているのは皆様もご存知の通り。また、相次ぐ自動車メーカーと中国側の企業との提携により徐々にではあるが?コアな技術が流出しているのも事実。関係者、特に大手部品メーカーや電機メーカーなどは勢いを増す技術流出に驚きが隠せないのではないだろうか。そして、これらの結果として何が日本に襲い掛かるのかは明確に見えているはずである。少し、誤解を恐れずに言うと、政治の世界と同じで、自分達の現役時代を上手くやり過ごせれば、その後に訪れる厳しい状況は目を瞑る的なことも今の経営陣にはあるのではないかとも思える。

一般に中国の海側の都市の人件費が上昇してきた今、中国での人件費コスト削減の成果を確保しようとすると、内陸部に工場をつくり、海側のコスト高いところの開発を諦めていく構図が見える。しかし、事はそんなに簡単なものではない。中国の内陸部はインフラの整備が遅れており、工場で完成した製品を世界に拡販する為の運送手段がべらぼうに高くつくことが予想される。これでは、中国の内陸部開発に海外企業の投資ドライブはかからない。片方で、海外からコアスキルを吸収した中国企業は、内陸部に拠点を展開し、流通コストが安い自国に製品を拡販することが可能となる。海外企業に対して中国内部へのコスト力、販売力で優位性を保つことになる。こうなると、「人」というところで日本企業は中国で簡単にメリットを受けられない状態となる。

そこで、見直されるのがベトナムやカンボジア、インドネシアの「人力」である。もちろん、中国や韓国より日本との距離が遠く、簡単に流通コストを含め中国と比較することは危険である。しかしだ、既に日本の企業の多くは上記の国々に工場などを展開しており、その歴史も古い。ある意味、中国よりもマネジメントスキルはあるといってもいい。さて、ベトナムであるが、相変わらずのバイク王国である。行かれた方は私のいうバイクがレジャーバイクでないことを理解していただけると思う。乗っているバイクは日本製で性能はバツグンであるが、その使用方法や交通マナーは日本の30年代にも及ばない驚くべき実態がある。使用する製品は進化しているが、その使用マナーなどは今から改善という実態である。彼らの年収からもいえるが、日本で働く最低賃金を日本で獲得し、母国にその半分を仕送りしても、母国では数年すると小さな家が購入できるほどになる。例えば若者が3人乗りを平気でするバイクは90ccや125ccクラスで20万円以上はする。これは若者の給与の数か月分に相当し、バイクはある種の生活ツールであり、若者の生活水準の簡単な規準にもなっている。バイクがないと週末の彼女との相乗りデートもできないのだから。この日本との所得格差を意識し、多くのベトナム人が日本で働いていることも事実。日本法人で雇用される方、ベトナム現地で日本企業に採用され、出向して日本で働いている方、そして、最近多いのが財団法人国際研修協力機構の指導に基づいて外国人研修生制度を使い数年間のみ研修・実習生として日本で働いている方である。これは、日本企業にとっても人件費が大幅削減され、働く本人にとっても母国の家族などに仕送りをすることで大きなメリットがある。ただし、遠くふるさとを離れて異質文化の日本で単身働くこと、そして仕事を覚えることの壁は大きく、研修生として迎えいれる企業もしっかりした体制で挑むことをお願いしたい。ベトナムで会った企業の方は勤勉に働く意欲の高いベトナムの方々を高く評価していたが、日本企業がベトナムに中国でしていることと同じようにその国の様々な価値観を大きく変えるようなことをすると、大げさであるが地球規模で大きくバランスが崩れていくような予感がするのは私だけであろうか。ベトナム日本企業の求人の多くは、日本人で東南アジア方面勤務経験がある、工場長をはじめとする上位役職者である。昨今は中国に人気を奪われていただけに、優秀な人材が不足しているマーケットでもある。

次はカンボジア事情を少し書こうと思っている。

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