2009年6月24日 (水)

先を見た自分キャリアの作り方

不況でも必要な人材とは?
昨年秋以降の景気は異常ともいえるものであるが、当社の顧問先を含み元気な会社も多数存在する。
このような時期に人材を採用する企業には2通りの背景がある。

1つ目は、自動車や建築業界の余波を受け低迷する企業群の中にありながら攻めの積極採用をする企業群。
好景気にもよく見られる、同業との競争優位性確保のために必要な優良人材の採用。
高業績の際には積極的に人材採用する企業が多いが、不景気時の今はコストセーブの筆頭に上げられる人員削減に同調した形で中途採用はほとんど見られなくなる。
しかしながら、バブル崩壊の時と違う動きをする大手企業も今回は数多く見られる。
少ない営業チャンスを確実にモノにするため、いかに競合他社との優勢性を持てるかに絡む人材を採用している。
まさにピンポイント採用である。
不況時に企業は何を考えて、どのような人材であれば必要とするのか?
不況に強い職種はという単純なものでなく、企業リスクの観点から企業戦略をシミュレーションし、そこに必要な仕事をイメージすることができれば、先を見た自分創造ができるかもしれない。

2つ目はアメリカを発端とする不況をまったく感じさせない業界もある。当社の顧問先のいくつかがその業界である。
景気に左右されず、読める売上げと利益があれば戦略はたてやすい。
人材というテーマで絞るのならば、売上げにつながる顧客との接点になる人材強化が優先順位高く考えられる。
営業であれ、サービスであれ目的はニアリーで「顧客満足UP」である。
言葉自体は古くなりつつある「顧客満足」であるが、これはあらゆる業界のキーワードであることは間違いない。
顧客満足度の貢献や実績を具体的に経歴書に書ける人材は進展地での活躍が直にできると思われる。
大事なことは成功した具体な経歴を書けるかである。
抽象的な「顧客満足の確立に貢献に成功」なんてことばでは何のPRにもならない。
経歴書に書き込めるだけのプロの顧客満足度UPのキャリアを戦略的に作り上げることが今後のビジネスマンに求められる仕事の有り方であるともいえる。

いずれにせよ、ビジネスマンは取り戻すことができない今時間を有意義に課題をもって過ごすことである。
これからのできるビジネスマンは自分のキャリア、経歴を戦略的に先を見て描けるようになることこそが自分のしたい仕事につける秘訣と思ってほしい。


箸休め話
この写真は私が大好きなアンコールワット群にある寺院の景色を切り取ったもの。
2009年の当社年賀状にも使用したが果たしてどこを見ていらっしゃるのか。
日常の荒波を忘れさせるクリスタルな空間であった。


Nenga1_2 

|

2009年1月13日 (火)

アメリカ金融破たんが及ぼす国内転職事情

この不景気、日本は世界先進国で一番ダメージが少ないというが・・・
「働く」「転職」というキーワードから見た日本はどうなる?
企業から採用部門が無くなる日は近いのか。


今朝、私の友人でニューヨーク勤務、米国ニュージャージー在住の知人からメールが入った。
予想はしていたが、見聞ある大手企業TOPに近い参謀として仕事をしている友人のメールは妙に説得力があった。
凡その内容はこうだ・・
「勤務先のあるニューヨークは景気減速(というよりも崩壊といった方がしっくりきます)が恐ろしい速さで進んでいます。
百貨店もシャネル等の有名ブランドの靴・洋服が叩き売りの状態になっており、7割~8割引きは当たり前となっていますが、それでも小売は在庫調整ができていない状況のようで、大手小売店の倒産が毎日のように噂されています。」と・・・
また、米国ディラーは苦肉の策で、1台購入すると1台サービスということまで打ち出しているところがあるとも聞く。
果たして、通常で考えるとこの市場にスキルの高いビジネスマンが数多く必要かと言うと疑問となる。
コアエグゼクティブは管理職から役員クラスを中心にエグゼクティブの転職支援を国内外で行っているが、このアメリカの金融不安を先に反映した動きを転職市場で見せたのはアメリカ駐在の日本人だった。
その傾向は、現在の大惨事に至る1年程前から始まり、米国在住ビジネスマンからの問い合わせが増加した。
私は30年間転職ビジネスに関与しているが、中小企業から大手、外資系企業までをお客様とするこのビジネスは、世界中の動向をいち早くキャッチすると言っても過言ではないと断言する。
その意味で、今回のプロムナードは少し前から始まっており、その余震が日本に伝わってくるのが少し遅かったのかもしれない。


表面化したのは、日本流通大手企業が買収したアメリカのアパレル系上場企業の低迷をはじめ、大手日本企業の米国駐在者へのソフトな転職推奨行動も同時に見られ、米国で勤務するビジネスマンがいち早く反応した時だったのだろう。
ただ、米国で永住権をもって、米国の風土や環境に馴染んだビジネスマンを満足させる求人は、既に米国にも日本にも殆ど存在しなくなっており、少しの妥協を転職者に求めた。
妥協した求職者の一部は転職を果たしたが、自分の理想を信念、アイデンテティーとした求職者はそのまま在職企業で働いているのが殆どだ。
既にというのは、更に半年前であれば中国や東南アジア方面の営業や技術者、工場管理者、マーケティングなどの求人は存在していたからだ。
嗅覚が鋭い海外勤務希望ビジネスマンや、海外から日本に帰国したい願望の強いビジネスマンは、早期に動き、上手く転職を果たしたと思われる。
しかし、今は多くの求人案件が姿を消した。
コアエグゼクティブに登録されている方々は景気動向に左右されない方々が多い。
殆どが在職者で。高い給与を支給されており、この不景気でも自身の人生や生活を大きく変える必要は無い方が多い。
しかしながら、昨今の大手電機メーカーS社を筆頭に、穏便なる解雇ということになると、安泰ではなくなる。
そこで、重要なことは在職をしながらしっかりと早い目に自分の経歴や強味の棚卸をすることだ。
棚卸とは、社会人になってからの自分の経歴を顧みて、どのような経歴をもっていて、その時々の自分は何をミッションにして働いていたのか。
また、部下を持ち始めた時の自分のポジショニングや、部下の考課スキルはどうだったか、上司には何を報告し、どのように経営に絡んだのかなどを時間を使って棚卸し、完璧な経歴書を作成することであると思う。転職をまさにしなければならない時ではなく、半年後、1年後の転職活動時期に向けて、今から自分の経歴書を作成し、人生の棚卸をすべきであると考える。
そこには、今後を占うヒントが必ずあり、自分をPRする素材が見つかる。
あと、近年思うことがある。
上記に書いたように、更に高いステージに転職をするという前提の転職行動も良いのだが、30年前から転職ビジネスに関わり悟ることもある。転職は何のためにするのかということ。
よりよい生活をするため、家族をより幸せにするため、自分をより成長させるため等など・・・・
それらを否定する気持ちはまったくないし私自身も今までこれらを思い仕事をしてきている事実はあるが、最近は少し違う。
それは、資本主義的?比較論の中で勝利する為、上位になるために仕事や転職をすることではなく、自分という絶対的な存在に対して何が一番「幸せ」かということを重視するということ。
自分の「幸せ規準」というものに少しこだわり始めた自分が居ることに気づく。
景気低迷の厳しい時代で輝ける仕事を見つけることに私は意見を言うつもりもないし、それは私の転職支援ビジネスを否定する意見にもなりかねないものであるが、敢えてこの景気低迷時期だからこそ「自分の「幸せ規準」」を探しての転職もいいもんだと思う。
アメリカの金融不安を発端とする景気低迷は求人数の低減などの暗い影響を転職市場にも与えているが、発想の転換で今こそ、自分探しをしてみる絶好の機会にされてはいかがだろうか。





|

2007年11月30日 (金)

ハワイの大望遠鏡「すばる」の軌跡。構想から完成まで29年の人生を賭けた仕事。

お正月、クリスマスに値する周期のブログとなりひたすら謝罪させていただきます。さて、いま小平桂一先生がお書きになられた「宇宙の果てまで」を読んでいる。東京大学理学部物理学科卒で日本はもとより世界の天文学に大きな貢献をされている先生である。何を隠そう私は星空が好きだ。もっと言えば八ヶ岳山麓から見る星空が本当に好きである。八ヶ岳といえば野辺山宇宙電波観測所がある。私はキャンプに向かう途中、野辺山で始めてこの巨大な電波望遠鏡の存在を知ったのだが、天空に向かうその姿や周囲の風景と美しく調和する姿には感動したことを覚えている。そして、先生が書かれた「宇宙の果てまで」を今読んで、野辺山宇宙電波観測所への想いがさらに深いものとなった。

この本には小平先生が若きしころからハワイ島マウナケア山頂に大望遠鏡をつくろうと試行錯誤、悪戦苦闘、人生をかけて挑んだ27年間の人生そのものが書かれているのだが、1989年に元内閣総理大臣の海部俊樹氏が非公式に野辺山宇宙電波観測所を視察された日のことが書かれている。その日、小平先生は総理と同席され、遂に「計画を推進してはどうですか」とのひと言を総理から頂くことができたとある。まさしくそれがこの野辺山宇宙電波観測所なのである。この本をお読みになられた方は、20年程の長きに渡り活動をされてきた小平先生が、その日どれほど感激されたかを想像するのは容易であろう。現場では言葉では表現できない感動があったと思われるが、1970年後半から始まった構想は遂に約20年の月日を経て光が射したわけである。そして「すばる」は1999年に完成に至った。1990年からも既に7年が経過している。

本に書かれている内容そのものに感動することは勿論であるが、私は小平先生が若きし頃から諦めることなく27年もの歳月一つの目標に向かって自分の「生きる」という行為そのものを投下し続けた「魂」に共鳴し、驚きを隠せない。もし、これがビジネスマンの仕事であれば、きっと数年でさじを投げていると思われる内容で、ある種先生の言動は学者の方々には勿論、ビジネスマンである私に忘れていた何かを感じさせるものであった。仕事柄、国内外のエグゼクティブビジネスマンに数多くお会いするが、果たして「すばる」の構想から完成までのストーリーに匹敵する「魂の目的」を持ち続けて仕事に挑んでいる方がいるかどうかは定かではない。

ビジネスマンに対して一生に1つ達成できるような目標で頑張れという気は毛頭ないが、人としてこのような目標の持ち方ができるように生きることができたらどんなに素晴らしいだろうと思う。そこには多くの知識と努力、証明する行動力など多くのことが要求されるが、私も遅れながら今まで思い続けた目標を掲げ「ミニすばる物語」をつくれたらと考えている。

この本を読む前の2004年冬、マウナケア山頂「すばる」を私はハワイ島まで見に行ったが、その時の感動を思い出させていただいた。今度は、「すばる」プロジェクトに参加された小平先生はじめ多くの方々の思いを胸に再訪してみようと思う。

|

2006年12月 6日 (水)

日本人海外勤務者の転職事情

人材市場で言えば国内は景気の回復と共に、大手や中堅中小の求人が増加し、その求人にマッチングする人材をサーチするのに相当の時間と労力を要すようになってきている。当社はハンティング的な動きや国内外のMBAルートによる長年の人脈で潜在的転職者層を支援しているので景気による人材ボリュームの上下は殆どないに等しい。しかし、最近少々気になることが起こっている。

それは、日本人海外駐在者、永住者の求職依頼が多くなってきていることである。年令は30代から50代と幅広く、ある特定の素晴らしいスキルをもつ方々が多い。お住まいは殆どが北米、中国、東南アジアである。彼らの共通することは10年以上海外で暮らしており、すっかり海外の生活になじみ惚れてしまっていることである。日本企業については国内雇用で海外駐在で転勤を命じたならば、ほぼ3年から5年を目安で国内に異動を命じて、新たな職場を国内で与える。しかし、数年を過ごし海外に惚れ込んでしまった彼らは、日本に戻ることなく海外雇用に切り替えたり、そのときに転職をして更なる海外での勤務会社を探索した訳である。冷静に見れば「海外住まいに惚れる怖さ」とでもいうべきものがあるのかもしれない。

上記の決断が数年後の今○と出る方と、×と出る方と大きく運命が分かれていると感じる。その方の職種にもよるが、その方が持つ能力がアウトソーシングでスキルを調達できる場合は、世の中の風潮と、そのマーケットの成熟度により加速度的に社内にその業務をする社員を置かなくなり、アウトソーシング化してしまっているである。そして、海外企業ならではのドラスティックな結論を彼らに出してくるのである。

果たして海外でアウトソーシング化した仕事内容は日本ではどうだろうか?基本的には海外諸国と同様の戦略を国内企業はとっており、本人が気づいたときには、自分のスキルに付加価値がなくなっている場合が多い。これは、単純な言葉で片付けることはできない内容であるが、自分のキャリアプランを少し前に真剣に考えていれば容易に判断ができたと思われる内容である。転職のタイミングを数年前にはずしてしまい、海外で更に勤務を長くされた方は住宅事情や物事への価値観も国内とは大きくずれ始めており、給与格差についても理解に苦しむ結果となる。この価値観の差が、更に転職先を選択する際に障害となる場合が多い。

漠然としたことを書いているが、海外に長くお住まいになっており、且つ近い将来転職を考えて折られる方は、国内で転職を考える以上に早く相談をしていただきたいと思う。また、家族をアメリカなどに置いて、単身で日本で勤務する場合は、殆ど給与が合わないので慎重な計画を練って転職活動をされることをお勧めする。

*このような背景があっても優良な企業からオファーがかかる優秀な人材が多くおられる。それは何故か?同じ業務内容・資格を持つ方でも、更につきぬけたその分野のスキルをお持ちの方は必ず企業の人事の方々の目に留まる。何故、目に留まるのか?それは自分自身が自信をもってしてきた仕事内容が他の方々より経歴書に確実に詳細に書くことができるからである。つまり、どのような素晴らしい仕事をしてきたのかだと私は考える。経歴書は後戻りできない自分の縮図である。そのためには今を確実に真剣に生き計画性をもって人生を切り開くことが重要なのかもしれない。

「自ら機会をつくりだし、機会により自らを変えよ」

私の座右の銘である。

|

2006年10月24日 (火)

ベトナムに続き、カンボジアについて直ぐに記したいが、昔書こうとして書けていない技術者の求人専門誌「Beruf」ベルーフについて書くことにする。

ベルーフとは「転職」ではなく「天職」という意味をもつ言葉である。私は非常に好意を寄せる言葉であり、この誌名をもつ技術者専門の求人誌創刊に関与したことを今でも誇りに思っている。当時、文系ではあれど技術やメカが大好きな自分のDNAが騒いだことを覚えている。内容は景気の上昇と共に全職種を掲載する週刊就職情報誌の厚さが電話帳のようになり、本屋さんのラックや営業マンのカバンにも入りきらなくなり、最終的には一番読んで欲しい転職思考者(読者)にも本が重すぎて購入を鈍化させるという事態になった。お客様に求人広告掲載料を頂きながら、効果がでないとなれば本を発刊する意味もなくなることから、技術者の求人のみを抜粋し、且つ技術者の方々が読んでも面白い編集記事を掲載する技術者求人専門誌「Beruf」を創刊した。

この本は物づくりの日本を知ることができる素晴らしい本で、求人誌としては勿論、日本のメーカーを中心とする素晴らしい研究開発の裏場面や、技術者に期待する人事部の話、そして圧巻は技術者を採用する為に、国内外の大手企業TOPが求人誌の誌面に登場したことだ。当時はあのビルゲイツも編集記事内で、マイクロソフトの企業理念や、日本で欲しい人物像を熱く語っていたのを覚えているし、取材もシリコンバレーなどにも及んだ。実は、私個人の主な人脈や知識は、この当時に形成されていると言っても過言ではない。私が国内最大の人を扱うリクルート社に入社した一番の理由は「昭和に奮闘して素晴らしい企業を創られた大手企業の創業経営者の方々に御会いすること」であった。素晴らしい経営者ほど「人」の重要性を説く訳で、大手企業の著名で多忙な経営者でも人を採用する為には必ず経営者そのものが登場して話をするに違いないと読んだ訳である。言い方が少々乱暴であることをお許し願い、その実現に利用し、それを実現させてくれたのがBerufであった。

当時はまだ20代から30代であったが、今は無き大手家電メーカー、自動車メーカーのTOPとも御会いすることができた。御会いしたときは事前に読破した本の内容も全て頭の中から空っぽになり、その顔に刻まれたしわ一つも見逃すまいという感じで顔ばかり眺めていたことを記憶する。勿論、その時の取材はライターに任せていたこともあり、会話の内容はほぼ記憶に無い。また、いい意味の誤算として海外から多くの企業が日本に参入し、外資系のTOPの方々とも御会いすることができたことである。そのお陰で国内外企業の価値観の差も学んだ。その意味では「Beruf」が今の自分の仕事をさせてくれていると言っても過言ではないのかもしれない。                     

代表取締役 三上良次

|

2006年10月20日 (金)

ベトナムのことを書いた次の日に・・・

前回はベトナムの人材流入について書いたが、そのテーマで書いた次の日の新聞にベトナム研修生を含む、外国人研修生の現状が大きく報じられた。バブル時に外国人研修生採用が増加したときにも話題になったが、ベトナムから研修生として日本に入国した人々の多くが姿を消すという話だ。この話を人材ビジネスをしている私は、単なる失踪という現象で終わらすことはできない。海外研修生のこの実態を聞くに、ベトナムを含む海外の研修生として研修勤務する人材の「質」を問いたい。海外に居るときに日本に研修で出国する登録をする訳であるが、海外現地での人材募集の仕方、選択のし方、事前教育のやり方が非常に重要になる。国内の派遣でもそうであるが、最初に会って動機付けをし、その人材の素養を見抜き判断する、コンサルター、コーディネーターの力量が大きく採用の成功を左右する。果たしてベトナムやタイの現地に、この部分の経験豊富で優秀なコンサルター、コーディネーターが存在しているのかを問いたい。多くの人材を日本に送り込むのが目的ではなく、この研修生制度で日本の企業に入って多くの貴重な体験ができ、その経験者が帰国して更に同調する優秀な人材を連れてきてくれるような流れにしたいものだ。この制度、システムは長い目で見た継続あるものにして欲しいと感じる。そうしなければ、この制度を本気で活用し良好なものとしたい方々の思いまで踏みにじることとなるだろう。その為には日本と現地の協力下、面談力あるコンサルター、コーディネーターを育成する何らかのアイディアが必要になるのではないだろうか。

| | トラックバック (0)

2006年10月16日 (月)

ベトナム事情

久し振りの作成となり、誠に申し訳ない。

さて、今回は技術者の求人専門誌のことを書こうと宣言していたが、最近海外出張づいているので、先日大手の面談で立ち寄った、ベトナムについて、少々書こうと思う。日系企業の多くが中国に進出し、低コストの人材力を活かし大幅なコストダウンを成功させているのは皆様もご存知の通り。また、相次ぐ自動車メーカーと中国側の企業との提携により徐々にではあるが?コアな技術が流出しているのも事実。関係者、特に大手部品メーカーや電機メーカーなどは勢いを増す技術流出に驚きが隠せないのではないだろうか。そして、これらの結果として何が日本に襲い掛かるのかは明確に見えているはずである。少し、誤解を恐れずに言うと、政治の世界と同じで、自分達の現役時代を上手くやり過ごせれば、その後に訪れる厳しい状況は目を瞑る的なことも今の経営陣にはあるのではないかとも思える。

一般に中国の海側の都市の人件費が上昇してきた今、中国での人件費コスト削減の成果を確保しようとすると、内陸部に工場をつくり、海側のコスト高いところの開発を諦めていく構図が見える。しかし、事はそんなに簡単なものではない。中国の内陸部はインフラの整備が遅れており、工場で完成した製品を世界に拡販する為の運送手段がべらぼうに高くつくことが予想される。これでは、中国の内陸部開発に海外企業の投資ドライブはかからない。片方で、海外からコアスキルを吸収した中国企業は、内陸部に拠点を展開し、流通コストが安い自国に製品を拡販することが可能となる。海外企業に対して中国内部へのコスト力、販売力で優位性を保つことになる。こうなると、「人」というところで日本企業は中国で簡単にメリットを受けられない状態となる。

そこで、見直されるのがベトナムやカンボジア、インドネシアの「人力」である。もちろん、中国や韓国より日本との距離が遠く、簡単に流通コストを含め中国と比較することは危険である。しかしだ、既に日本の企業の多くは上記の国々に工場などを展開しており、その歴史も古い。ある意味、中国よりもマネジメントスキルはあるといってもいい。さて、ベトナムであるが、相変わらずのバイク王国である。行かれた方は私のいうバイクがレジャーバイクでないことを理解していただけると思う。乗っているバイクは日本製で性能はバツグンであるが、その使用方法や交通マナーは日本の30年代にも及ばない驚くべき実態がある。使用する製品は進化しているが、その使用マナーなどは今から改善という実態である。彼らの年収からもいえるが、日本で働く最低賃金を日本で獲得し、母国にその半分を仕送りしても、母国では数年すると小さな家が購入できるほどになる。例えば若者が3人乗りを平気でするバイクは90ccや125ccクラスで20万円以上はする。これは若者の給与の数か月分に相当し、バイクはある種の生活ツールであり、若者の生活水準の簡単な規準にもなっている。バイクがないと週末の彼女との相乗りデートもできないのだから。この日本との所得格差を意識し、多くのベトナム人が日本で働いていることも事実。日本法人で雇用される方、ベトナム現地で日本企業に採用され、出向して日本で働いている方、そして、最近多いのが財団法人国際研修協力機構の指導に基づいて外国人研修生制度を使い数年間のみ研修・実習生として日本で働いている方である。これは、日本企業にとっても人件費が大幅削減され、働く本人にとっても母国の家族などに仕送りをすることで大きなメリットがある。ただし、遠くふるさとを離れて異質文化の日本で単身働くこと、そして仕事を覚えることの壁は大きく、研修生として迎えいれる企業もしっかりした体制で挑むことをお願いしたい。ベトナムで会った企業の方は勤勉に働く意欲の高いベトナムの方々を高く評価していたが、日本企業がベトナムに中国でしていることと同じようにその国の様々な価値観を大きく変えるようなことをすると、大げさであるが地球規模で大きくバランスが崩れていくような予感がするのは私だけであろうか。ベトナム日本企業の求人の多くは、日本人で東南アジア方面勤務経験がある、工場長をはじめとする上位役職者である。昨今は中国に人気を奪われていただけに、優秀な人材が不足しているマーケットでもある。

次はカンボジア事情を少し書こうと思っている。

| | トラックバック (8)

2006年8月30日 (水)

貴方の「夢」を知らなければ「天職支援」はできない。

エグゼクティブな人材に特化した人材紹介会社CORE EXECUTIVE誕生の訳
1970年代の転職事情

私は28年ほど前に人材業界に身を投じましたが、その当事の企業は殆ど新卒採用重視で、中途採用に対して積極的ではありませんでした。私が中途採用事業に携わった当時の営業場面では、しばしば「わが社は新卒だけの企業だ!中途採用などは考えていない!」という怒りをかったり、灰皿を投げつけられるというぐらい中途採用に後ろ向きな社会だったのです。
中途採用手段も限られており新聞の求人欄がメインという時代です。世間的にもだれかが転職すると聞くと決していい意味で捉えられることはなく、ある種引け目を感じての転職となっていました。もちろん、求人誌が本屋さんで並ぶという姿は日常ではありませんでした。また実際、中途採用で募集される職種やポジションは現在のように多様でなく、役職も管理職は殆どありませんでした。
当時は転職雑誌の創刊に携わっていましたが、中途求人を集めることはもちろん、応募者を獲得することさえ困難な時代でした。お金をいただき求人をいただいた企業様に応募者が少しでも来るように、電車の中、公園のベンチ、喫茶店などにあたかも忘れたように自分達が作り上げた求人誌を置いて注目度を上げようとしたものでした。それほど転職というものが後ろ向きに捉えられていた訳です。
しかし、そのような時代も過ぎ、景気が良くなるにつれ新卒者だけでは採用予定人数を充足することはできず、徐々に中途採用が積極的に行われるようになったのです。求人誌も月間から隔週間になり、ついに週刊誌にまで成長を遂げました。この時代を迎えるまでの厳しい数年間は「中途採用という採用手段がいつか企業にも認められ、必ず社会に受け入れられる。それまでは絶対に諦めない!」という純粋な中途採用事業に対する熱意と人材ビジネスが好きになる自分が支えていたと思っています。
中途採用が日本にまだ定着していない厳しい時代に、毎日100社以上の企業を回り、「中途採用」「転職」は企業にとっても、人にとっても重要であると説いた自分があったことが、今の自分を作り上げたと思っています。

次回は技術者専門求人誌誕生!を書こうと思っています。

28年の人材ビジネスの経験をもつCORE EXECUTIVEに是非コンタクトを!
いい出会いがきっと有ると思います。

www.core-consul.co.jp/executive

CORE Group 代表:三上良次

| | コメント (9) | トラックバック (3)